自己紹介2

小学校高学年になる頃から、徐々に音楽が私の生活に深く入り込んできました。最初はB’zから始まり、その後はL’Arc〜en〜Ciel、GLAY、LUNA SEAといった当時の音楽シーンを代表するバンドに夢中になりました。特にL’Arc〜en〜Cielが「HONEY」で紅白歌合戦に出演した時のことは今でも鮮明に覚えています。とはいえ、当時の自分は夢や目標なんて特に持っておらず、ただ人よりも少し目立てたらいいなとか、金持ちになれればそれで満足だ、くらいにしか考えていませんでした。なぜかプロ野球選手になりたいと言い出し、親父にねだってイチローのグローブを買ってもらったこともありました。

しかし、その平凡な日常が一変する出来事が中学に上がってから起こります。それがX JAPANとの出会いでした。もともと私は、幼少期から内に抱える苛立ちやフラストレーションを抑えきれずに爆発させることがあり、時には学校で問題を起こし、親が何度も謝りに行かなければならないようなことが多発していました。そんなある日、X JAPANのシングル「Say Anything」に収録されていた「Silent Jealousy」のライブバージョンを聴いた瞬間、今まで抑え込んでいた自分の攻撃性や激しい感情が音楽で表現できるということに気づいたのです。それまで行き場を失っていた感情の出口が見つかり、「俺はX JAPANみたいに生きるしかない」と直感的に思い至りました。

その後、幸運にも母親のピアノの教え子の一人の長髪親父が、私の音楽への情熱を知り、ESPのギターを譲ってくれることになりました。さらにそのロック好きの長髪親父はヤングギターの雑誌を山ほどくれました。その雑誌にはリッチー・ブラックモアやイングヴェイ・マルムスティーンといった、当時の自分にとってはまだ未知の存在である海外のロックスターたちのインタビューが掲載されており、彼らの言葉からロックの狂気や本質を学びました。彼らが語るぶっ飛んだエピソードや、生き方そのものが、当時の私にとって一種の啓示のように感じられ、ロックとはこういう生き方なんだという強い影響を受けました。今でも、いわゆる「普通」や「常識」といったものに違和感を覚えるのは、思春期にこのような破天荒な人物たちの言葉を浴びすぎたからかもしれません。

また、その時に同時にもらったリッチー・ブラックモアがレインボー時代にリリースした「Final Cut」というDVDや、X JAPANがまだ「X」と呼ばれていた頃の「Celebration」というビデオも私にとって強烈なインパクトを与えました。特にリッチー・ブラックモアが演奏する「Spotlight Kid」のギターサウンドやそのステージでの佇まいは、私のギタープレイの基礎を形作るものでした。また、X JAPANの壊れたようなパフォーマンスも、私のロック観に強く刻み込まれました。

ギターにのめり込む一方で、学校の勉強にはあまり興味を持たなくなっていきましたが、帰国子女だったことや周囲の学力水準が高かったため、それでもなんとか引きずられるようにして進学し、それなりの高校に入学することになります。この続きは、また次回に話したいと思います。

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